小耳症による“耳の悩み”を、長いあいだ誰にも言えずに過ごしてこられたタケ子さん。
「耳があれば…」という静かな願いから、エピテ®との出会いが始まりました。
外見のコンプレックスは、目に見えにくく、語られにくいもの。
今回は、北海道在住・50代/小耳症による耳の外見に関するお悩みをお持ちのお客様の声をご紹介します。
※記事内では、ご本人のご了承をいただいた上で、製作前後の写真(Before/After)やお顔を掲載しています。
「耳があれば…」という長年の想いが、どのように形になっていったのか──その一歩をお読みください。
生まれた時から小耳症で、右耳の聴力はありません。
これまで50年以上生きてきて、それなりに苦労や不便、いろいろありました。子どもの頃の自分は、よく頑張っていたなぁ〜と、今になって気づきました。
父母は出生時にとても悩み、大学病院にも相談に行ったそうです。
手術はできないと言われ、「強い子に育てよう」と考えたようです。大人になって、「気にしないよ」と言ってくれる夫と結婚し、子どもにも恵まれて、ほぼ忘れていました。
小耳症のこと……すごいですね。自分でも。しかし耳がないのを思い出したのは、コロナの時でした。
「マスクができない!」と思い、北海道内で義耳のようなものを探したこともありましたが、なんとなく流れてしまって。でも今年になって、ふつふつと心の中にまた「右耳があればな」という気持ちがわき上がってきました。
残念ながら道内では見つからず、空港からアクセスの良い場所を探していたときに『みやびさん』を見つけました。
そこからたまに、のぞき見(ネット)していました(笑)。お願いしようと思ったのは、女性だということ。私にも手が届く価格。
そして何より、温かい気持ちが感じられたので、思い切って相談させていただきました。東京へ私が行くのは、すごくハードルが高くて、多分あきらめていたと思います。
まさか北海道まで来てくださるなんて。本当にありがたくて、感謝の気持ちでいっぱいでした。実際にお会いして、「間違いなかった!」と思いました。
安心して、私のことを見ていただくことができました。サロンのように、1日目はクリスマスのオルゴールソングが流れていて、
2日目は「見て!見て!昨日、クリスマス市で買ったの♡」と、キャンドルに火を灯して待っていてくださっていて。私の横で、考えを聞いてくださりながら、細やかな作業をする田村さんを見て、
「技術と人間性が詰まったエピテーゼ、これに出会うために50歳までかかったんだなぁ」と、心から思いました。エピテーゼを思いついてくれて、仕事にしてくれて、北海道まで来てくれて、出会えた喜び。
大げさに聞こえるかもしれませんが、不便をしてきた分の感動です。今度、イヤリングを持って行こうと決めています。
楽しみでしょうがないです。家族も一緒に、待っていてくれます。
お住まい: 北海道
年代: 56歳
ご職業:子ども相手の仕事
お名前(ニックネーム): タケ子
お悩み:小耳症





みやびの想い
タケ子さんが生まれた当時、ご両親はあちこちの病院を訪ね歩き、「どうにか耳を作ってあげられないか」と懸命に相談されたそうです。
しかし当時の医療では難しく、「小さくても、この子を強く育てよう」と決意されたと伺いました。
幼少期のタケ子さんは、髪の毛で耳を隠すように過ごし、「あまり笑うことがなかった」と、静かに語ってくださいました。
そして、息子さんの結婚式。髪を結ぶと耳が見えてしまうことが気がかりで、ヘアスタイルを自由に選べず、悔しい想いをされたといいます。
「耳ができたら、お母さんにも、子どもたちにも見せたい」
そんな一言がとても印象的でした。
人生で初めてのイヤリングにも挑戦したいとのことで、いくつかのサンプルをお持ちし、お好きなものを選んでいただきました。
製作の過程では、思わず涙ぐむ場面もあり、私としても微力ながらお手伝いができたことを、心からうれしく思っています。
このときの様子は、北海道テレビさんにも取材していただきました。
一人の女性の想いと、それに寄り添う選択肢としてのエピテーゼを、広く知っていただけたことも大きな喜びです。
新しい耳を迎えることは、ただ“見た目が整う”というだけでなく、「できなかったことができるようになる」――
その一歩なのだと、私自身も改めて感じさせていただいた時間でした。
北海道テレビさんの放送はこちらからご覧ください。