エピテーゼ施術事例と感想

エピテみやびでは、エピテを通じ“コンプレックスを前向きにする”ことに本気で取り組んでいます。

・安心してご相談できる完全予約制プライベートサロン
・カウンセリングで徹底的にあなたのお悩みを聞かせていただいてからの施術

・施術者とお客様のマンツーマンスタイル

このように、あなたのお悩みやコンプレックスを前向きに美しくするための特別なサロンをオープンしました。

エピテみやびにお越しいただければ、今まであったお悩みも解決します。

自分でも相談できるかな?
お願いしたらどんな風になれるかな?

ご自身に置き換えながらご覧くださいませ。

では、エピテを通じて美しくなられたお客様をご紹介いたします。

エピテスタイル

19歳のときに、高速道路の横転事故で右手の人差し指をなくしました。

エピテみやびさんを知るまで、肌色の指サックにティッシュを詰めたものをつけて生活していました。

病院で見せてもらった義指はあまりにも“作り物”で病院の先生には「指なんて誰も見ていないからないことを受け入れなさい」と言われ、一生このまま生活していかなくてはならないのかと飽きらめていました。

エピテを創っていただいて、他の指との差がなく、本当に自分の指そっくりで驚きと嬉しさが溢れました。その一瞬で未来が明るくなりました。

好きなネイルもできるようになってとっても幸せです。普段から仕事でも美容師・アイリストをしており、手を使うことが多いので必需品です。

いろんな人にエピテを知ってもらい、以前の私みたいに辛い思いをしている人が少しでもいなくなるよう願っています。

19歳のときに、高速道路の横転事故で右手の人差し指をなくしました。

エピテみやびさんを知るまで、肌色の指サックにティッシュを詰めたものをつけて生活していました。

病院で見せてもらった義指はあまりにも“作り物”で病院の先生には「指なんて誰も見ていないからないことを受け入れなさい」と言われ、一生このまま生活していかなくてはならないのかと飽きらめていました。

エピテを創っていただいて、他の指との差がなく、本当に自分の指そっくりで驚きと嬉しさが溢れました。その一瞬で未来が明るくなりました。

好きなネイルもできるようになってとっても幸せです。普段から仕事でも美容師・アイリストをしており、手を使うことが多いので必需品です。

いろんな人にエピテを知ってもらい、以前の私みたいに辛い思いをしている人が少しでもいなくなるよう願っています。

20代 アイリスト ayakaさん

3歳の時に大工をしていた祖父の道具(木を削る機械)で遊んでしまい、左手の人差し指を怪我しました。すぐに病院へ行きましたが、元には戻りませんでした。

幸いなことに、学生時代や働き始めてから指のことでいじめられたことはありませんでしたが、夢を叶えるために指があったら・・・と思う用になりました。

現在は男の娘(おとこのこ)として音楽活動をはじめています。マイクや楽器など手元を見られることが多く、今では自信をもってステージに立てます。

エピテを知る前は、人はそんなにみていないだろうと思うようにしていましたが、やはり気になって人前に出るのをはばかられたり、文字を書く時など、やはり意識してしまうものでした。

気になる境目にリングをするとおしゃれもできて男の娘の私にとってはうれしいです。

同じような悩みを抱えていらっしゃる方は、作る、作らないは別として一度相談してお話だけでも聴いてみてはいかがでしょうか。きっと見える世界が広がると思います。

20代 男の娘singer ユモさん

私は4歳の時に不注意で脚立に指を挟んでしまい、救急搬送ですぐに病院へいきました。しかし、当時の医療では指を繋げることが難しく、左手の人差し指第一関節を失ってしましました。

それからエピテに出会うまでの28年間、家族に支えながら他の人にはない経験をしました。

辛い経験は数えきれないほどあります。小学生の頃は、同級生たちの素直すぎる言葉に傷つき「指なしライダー」と呼ばれいじめを受けていた時期もあります。

それからは一生懸命指を隠す生活を続けてきました。

私にとって、指のない生活は日常だったので、「ないから困る」ではなく出来ないことは周りの人と「工夫をしながら」乗り越えるよう育てられました。

何度となく両親と相談し、「再建手術」を考え病院へ相談しましたが、現実的な処置や医療発展もなく諦めていました。

その中で、指があったら・・・もう一度強く思ったのは兄の結婚式に出席したときでした。義姉の幸せそうに結婚指輪を見せる姿を見て、私の結婚式で私自身や家族が、あんな風な幸せな顔ができるのだろうかと思い、もう一度最後の望みをかけて病院へ相談しに行きました。

結果は「失くした指の代わりに足の指を付ける」または「義指を付ける」の2択でした。期待はしていなかったけれど、改めて「失くしたものは一生戻らないのか・・・」と、これまでで一番辛く、残酷な瞬間でした。

そんな時、祖父が見ていたNHKで紹介されていたのがみやびさんでした。

すぐに予約をとり、作って頂きました。

28年間という長い間ずっと指がない生活だったので、慣れるまで違和感がありましたが、自信をもって人前で手が出せます。

まだまだ日本は差別のある国だと思っています。「可哀そう」「大変だろうな」と思って好奇の目や差別をすることはなくならないと思います。

しかし、エピテに出会って希望への選択肢が増えたように、私と同じように悩んでいる方へ手術以外の『エピテ』という選択肢があることを知って、そして届くことを願っています。

今、これをみているあなた様へ。

自分と違う人を見たときや聞いたとき、「可哀そう」「大変そう」という同情や心配をよせるだけではなく、“エピテ”という選択肢があることを誰かに伝えていただけませんか?

その一言が辛い思いをしている方の助けになるかもしれません。

20代 英会話教師 佐藤麻也さん

私は野菜の下処理の機械に、左手人差し指を巻き込まれました。第一関節だけで済んだとはいえ、辛いものでした。

痛みがやわらいでも、皮膚のひきつれがひどく、内側のしびれは数年たった今も全く治る様子がありません。その痛みで朝、目が覚めるといった具合です。

そして何より辛いのが「見た目」です。嫌でも目に入るし、マニキュアでおしゃれすることもできなくなってしまった指を、毎日眺めなくてはなりません。事故にあってしまった後悔や苛立ちを消すこともできず、とにかく人前に出ることが嫌で仕方ないのです。

仕事中の事故だったので、幸い労災で義指を作りました。これでやっと落ち着けると思ったののも最初だけでした。病院で作った義指は硬く、圧迫感が強くて長時間の使用はできませんでした。

そして一番納得がいかないのは義指の爪の形でした。失ってしまった指の爪は気に入っていて、またフラダンスのサークルの会長をしているため、私にとって指先は大切な意味をもつパーツです。

フラダンスで踊ったときの指先はとても重要なんです。その肝心の指先が欠損しているというのは、耐えられないことです。

3年ほど義指を使っていましたが、やはり納得のいく指が欲しいと思い、みやびさんにお願いしました。

私が爪にこだわっていることを話すと、何時間も丁寧に打つ合わせをしてくれました。

出来上がりの爪の形は綺麗で、何よりもエピテは柔らかいんです。そして、整形外科の先生でも、近づいてよく見ないとわからないくらいだね。とほめてくれました。

このエピテのおかげでフラダンスを踊るときに堂々と指先を伸ばして、自信をもって踊ることができるようになり、本当にうれしくなりました。

サークルに新しい人が入会しても、しばらくは気がつかないほどでした。

私のように指先を欠損してしまった人たちが、それがたとえ本物でなくても納得のいく身体を得ることができ、少しでも心と見た目に自信が持てるようになれば良いなと思っています。

50代 高橋さん

小学生高学年の頃に、友人から足の親指が短いことを指摘されたことをきっかけに、周りとは少し外見が違うのだと意識するようになりました。

成長するにつれて、足を出すのが嫌になり、恥ずかしいという気持ちになりました。

そんなとき、インターネットで『短指症』を調べていると、同じような悩みを抱えている人がいることを知りました。

そこでエピテみやびさんのサイトを拝見し、掲載されていた写真がとても自然に仕上がっているのを見て、さっそく問合せしました。

少し不安もありましたが、人にこれまで抱えてきた悩みを話せたことで気持ちが楽になりました。

サンプルを試着し、つけ心地も違和感なかったのでお願いしました。

フィッティングでは、私の希望を聞いてくださり、細かな調整をしてくださりました。

仕上がりが楽しみです。

20代女性 神奈川県 みーさん

私は生まれつき右足の薬指が短く、それに気が付いたのは小学生の頃でした。

足の指だったため、日常生活では目につくことも少なく、気にすることなく過ごしていました。

中学生になったある日、体育の授業で裸足になる機会があり、私の足を見た同級生の一人が「気持ち悪い」と一言。

生まれて初めてひどい言葉を言われました。

これまで母や祖母はその指について「他人と違うところがあり良かった」と常にプラスの方向へ導いてくれてくれました。

そのため、その「気持ち悪い」と言われたことがすごく重たく、『周りの人から見たら、私の足は気持ち悪いのか・・・』と認識するようになりました。

それから人前で裸足になることはおろか、サンダルを履くことさえも嫌になり、海やプール、温泉施設など裸足になる場所では、できるだけ隠して過ごしてきました。

一時は手術も考えましたが、時間的にも金銭的にも踏み切れず、ひとり悩んでいました。

そんな時、祖母がエピテみやびさんのことを教えてくれました。

さっそく予約をとり、お話を伺いました。
試着をした瞬間「やっと人目を気にせず過ごせるかも」と前向きな気持ちになりました。

完成するのが楽しみです。

これから夏がきて、裸足になれることが待ち遠しいく思います。

こんな気持ちにしてくださったエピテみやびさんには、本当に感謝しています。
ありがとうございました。

24歳女性 群馬県  Sさま

仕事中、機械に腕を挟まれて左手を失いました。

入院中に義手の事をインターネットで調べているうちに「エピテーゼ」のことを知りました。

手首から先が無いととても不便で、はやく義手が欲しいと思い、2件の義手会社へ連絡しました。

しかし、“予約が多くて着手できるのは4か月後で、完成するまで半年かかる”と言われました。

怪我のショックと悔しさで毎日泣いていた私にとって、その解答は絶望へと導くものでした。

そんな中、“きっとここも・・・”と諦め半分でエピテみやびさんに問い合わせしました。

すると「すぐに着手できますよ」との回答。絶望していた私にとって、本当に本当にうれしい瞬間でした。

電話でも優しい対応で、何もわからない私に丁寧に説明してくださりました。

数回の打ち合わせのために何度もうかがいましたが、その度に遠方から行く私に時間を合わせてくださり、本当に助かりました。

40代女性 関東  Mさま

私は72歳の男性です。

趣味は野球と音楽です。高校時代に古賀政男が好きでキターに没頭していました。

就職して初めてのお給料でエレキギターを買いました。その後ベンチャーズが来日して、熱狂的なファンになりました。音楽は大好きで、社内のオーケストラ楽団に入団し、ヴァイオリンを弾きました。

そんなある日、悪夢が襲ったのは24歳のときでした。

会社の現場の裁断機(紙を切断する機械)で、左手の人差し指と中指の第二関節の少し先から、切断する事故にあいました。

原因は安全装置が解除されていたからでした。

指を切断し、失った瞬間に一番最初に脳裏をよぎったのは『野球と大好きな音楽ができなくなる!!!』ということでした。

辛いリハビリを乗り越え、野球、トランペット、打楽器はできるようになりました。

そこで最近、電子ピアノを始めました。

当時は「義指」というものが無くて、人前でのあいさつや活動は無意識に指を隠していました。

そんなとき、たまたまYouTubeでエピテみやびさんを拝見しまして、エピテをお願いしました。

その場でお創りしてくださり、その技術は絶賛です。
私の指(爪、指紋、しわ、色)は巧な技術ですべて手作業で行われます。

過去の時間は戻せないけれど、エピテで外見を戻すことはできます。

エピテみやびの田村先生!感謝の念を込め、ありがとうございました。

72歳男性 埼玉  Gさま

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