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TOYP2020の集合写真画像

【想い】青年版国民栄誉賞を受賞して

こんにちは。
エピテーゼを「隠す」ものからオシャレに「魅せる」アイテムを目指すイノベーターのみやびです。

ここ数日、受賞した喜びから、魂が抜けてしまっていました。

現実に戻ってきましたので、正式にご報告いたします。

私、エピテみやびの代表の田村が【青年版国民栄誉賞】ともいわれる
ビジネスコンテストにて準グランプリを頂戴することができました。

いつも応援してくださっている皆さまのお陰です。

 

TOYP2020にて準ブランプリを受賞した時の写真画像


これで合計8つのビジネスコンテストで入賞しました。

起業して4年目、改めて私の思い描く未来や、エピテーゼへの想いをこのブログに記録しておきます。

エピテーゼに興味を持っている方や、これから起業したいなと思われている方、自分のスキルで誰かを幸せにしたいと思っている方に、少しでも勇気になればと思います。


ちょっと想いが強すぎると思うので、めんどくさい方はスルーしてね。



起業のきっかけ

あちこちでさんざん言ってるし、ホームページにも書いてあるから知ってるかな。
でも、今回は裏のみやびが暴露話しをしちゃうよ(照)

やっぱり、メディア向きは「キラキラした面」を出さなきゃならいから、それっぽく伝えます。
それはちゃんとして事実に間違えはないのよ。

でもね、人間、そんなにきれいな面ばかりじゃありません。

ズバリ、私が起業を選んだのは「なりゆき」です。
・・・・ごめんなさい。

その時の私は30代半ばで、これから先の人生に悩み疲れ果ててました。
仕事もあるし、親も元気。収入は悪くなく、独身で週末は好きな趣味に没頭できてたんだけど、5年後10年後になっても幸せだろうか?と気が付いちゃった。

その時は歯医者さんに勤めていたけれど、先輩たちは不妊治療で大変そうだし、ストレスで八つ当たりされ、仕事は3倍になり、ドクターからも同僚からも評価されず、精神的に苦しい日々だった。
さらに、歯科医院って個人経営だから院長先生が「もう明日からやめます」ってなれば、仕事を失ってしまうの。

40歳を過ぎてからの再就職はきついし、結婚という価値観に幸せを持てず、このまま孤独死決定だわ、、、、って悲観的になる毎日。

収入も生活も「安定」はあった。

でも、私の心はどこかに消え、全く楽しくなかった。
今、振り返ると愚痴しか言わず、笑顔も全くなかった気がする。


このままじゃいけない。
あの職場に居続けたら自分が消えてしまうと思って、速攻で辞表を提出したさ。

きっと、軽いうつ病だったと思う。

仕事を辞めたらすんごく、親に怒られたのは言うまでもない。








環境の変化ってすごい

後先考えず、生命の危険を感じ取ったので職場という敵から逃れたはいいけれど、することがなく、ゴロゴロする日々が続いた。

振り返るとヤバいね。

30も半ばの独身女が仕事辞めて、ゴロゴロしてるって。

そんな姿を見かねた母親が、半分強制的に「無料だから行ってきな。」と一枚のチラシを渡してきた。


そのチラシは地域で開催している「創業支援塾」というものだった。
へー、こんなのあるんだって思って、まぁ無料だし暇だから行ってみようって申し込んだの。


ここからが本人も予想していなかった出来事が待ち受けてた。

これまで30年以上、底辺で生きてきた。
幼稚園から中学校くらいまで、兄弟と比べられ「できないやつ」のレッテルを張られてきたので、そういうもんだと思い込んでいた。
周りの大人たちに応援されてきた記憶が、、、、ないや。


ところが、支援塾にいくと批判されることが無く、むしろ応援してくれた。
アドバイスもくれるし、どんな考えをもった受講生にも前向きな言葉を投げていた。

他にも開催されている起業向けのセミナーへ出向き、あたたかい人たちと出会うことができた。初めて人生と考え方を受け止めてもらえた瞬間だった。


一緒に学ぶメンバーも前向きだったし、そこで年の差を超えた友達もできた。
そんな環境で数カ月勉強をして、新しい自分になるための扉が少しずつ開かれていきました。










まさかのお仕事依頼

時系列でいうと、エピテーゼのスキルは学び終えていた。
しかし、それで起業するつもりは1ミリもなかったし、考えてもいなかったの。


でもね、交流会で「君は何ができるの?」と毎回聞かれ、「エピテーゼっていうものが作れます」ってあちこちの起業セミナーや交流会にサンプルを持って参加していたら、相談されることが多くなった。

例えば、
・うちのお母さんが仕事中で指をなくしてしまったの。
・亡くなったおじいちゃん、農機具で4本指を落とし、包帯で隠しながら生活してた。
・妻が乳がんで、ひと段落ついたら相談に乗って欲しい。
・お姉ちゃんがお兄ちゃんになったんだけど、サポートするのある?

これまで意識してなかったことだけど、こんなにも困っている人がいる。
もしかして、私に何かできるのでは!?と思い始めたの。

このタイミングあたりで、友人と再会し乳がんを告白されました。
これが決定的瞬間で「いっちょやってみるか」ってやる気スイッチが入ったところ。

でもね、どんな風に進めていくのかなんて、さっぱりでした。











おやめなさいからの意地

あちこちに相談するも「病院と提携したら?」と言われるだけ。


他にも、いやいやこれまで指をなくした人なんてみたことないし、君が思っているほど需要はないから、今すぐおやめない。と言われたし。

サンプルを見せたら「これは新しいオブジェ?」と聞いてくる有名な社長もいた。

いまだに、エピテーゼを理解できない大人が多数いるが、私は直観的に潜在ニーズは必ずあると思っていた。

数多くの人に相談され、泣きそうになりながら話をしてくる家族に出会っていたし。

そして、もうひとつ直観的に「病院」や「医療」ではないなって感じていたの。
それは明確なエビデンスはないけれど、確信しているわ。







ふたを開けてびっくり

そんなこんなで、相談から依頼へつながり「起業」を果たしたわけです。

それから辛い事もたくさんあったけど、長くなるのですっとばします。


もう。ここから先は私の幸運を全て使い果たしているんじゃないかってくらいのラッキーが続きます。


ぼつり、ぽつりやっていると、新聞記者がかぎつけて取材してくれました。

その記事をみたテレビ局が取材を申し込んできて、県内だけの放送が、首都圏へ、それから全国へと流れます。

そして、とりあえず書いてみたビジネスコンテストがグランプリになります。


一体何が起きているのか、さっぱり理解できませんが、強運が舞い込んできました。










予想から確信へ

テレビ放送が決定的な瞬間で、私が予想していたよりもずっと多くの方が問い合わせをしてきてくださりました。

北海道から鹿児島まで、中には「やっと相談する場所を見つけた」と言って泣きながら電話をかけてくだり。

遠方から連絡してくれたはいいけれど、群馬までは遠すぎていけない。

ようやく見つけた希望だけど、諦めるしかないと言われた時は胸が潰れそうでした。

自分はなんてちっぽけな存在なんだと思いつつ、せめて日本の中心東京に店舗を出したらアクセスしやすいのではないか。と考えグランプリでいただいた賞金を元に東京進出を果たしました。



あの時のおっさんの「おやめなさい」「病院へ入りなさい」と言われた言葉。

おっさんたち、あんたたちは間違ってたぜ!

テレビ放送されてから、私の予想は正しかったと確信した。病院じゃないから相談できるし、たくさん困っている人がいるということに。








自分の人生を生きる

今でも昔の名残で私はダメな人間だ。
こんな簡単なこともできない。ってクヨクヨしてしまうけれど、それも「私」なんだなって思うことにした。

これまでは「親の思ういい子」や「世間でいう女の一生」を元にして「誰か」になろうとしていたことに気が付いた。

誰がなんと思おうが、イイじゃないか。
前向きになろうとしているお客様だけを選び、仕事としてエピテーゼをご提供させてもらってもいいじゃないか。

目の下にクマができたら悩むし、白髪を発見したら落ち込むし、結婚しないのは本人の自由だし、好きなお酒を飲みすぎちゃうこともあるし。
決めていたことを、ずっと後回しにしてることもある。
でもこれがニンゲンだし、私自信でもある。

振り返ると、わがままに「私の人生」を歩み始めたとき、道が開けた気がする。









まとめ

起業してから、できないことは極力しなくても済むように組めばいいし、私のスタイルで自由に働く事ができている。

これに早く気づいてもらいたいと思い、今ではスクールを開講しています。

エピテーゼの技術を学ぶだけでなく、生徒一人ひとりが思い描く「自分の人生」を生き、自分の強みやスキルと掛け合わせ、オンリーワンの仕事となるようにプロデュースをします。
最短距離で、みんなに幸せになって欲しいから。



クソヤロウと思って、会社を辞めてから4~5年。

勤めだった時と違い、起業すれば自分で頑張った分成果がすぐ見えるし、応援もしてもらえる。

自分の人生を見つけた今が一番輝いてる気がする。
アラフォーの遅咲きだが、それぞれのタイミングがあるのかもしれない。


ようやくこのタイミングで、ちょっぴり生きるって楽しいかもと思えて来た今日この頃。







長文、読んでくださりありがとうございました。

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